ジョゼと虎と魚たち 再び

2度目のジョゼに。
ここにしかおさまらないのだと、あのどうしようもない気持ちは言っているように思った。
だから、僕は、その気持ちのやり場を、元の物語に求めた。
 
前のようには全然ならなくて、非常に冷静だった。
なんだったのだろうか。前に観た時のざわつきは。
 
きっといろいろ感じて考えたことで、自分の中で何か変わったんだと思う。
ようやくかよ、というべきか。

ジョゼに恋してしまっていたんだと思うし、きっと自分も恒夫ならば、それがどういうことかわかっていながら、別れを切り出してしまうのだと思ったから、つらかったのだと思う。
自分の悩んでいるところをダイレクトにつかれてしまったから。
 
今なぜ、気持ちが楽になったのか。
流れに身をまかせるというか、そうなるものはそうなるのだし、
そんなことあるかいな、なことは、やっぱりありえなかったりするのだ。
世の中、奇跡で彩られていたら、それこそまぶしすぎて、その世界には住んでいられない。
というか、奇跡が奇跡でなくなってしまう。
 
もっと、気楽に。
ということを考えるようになれたからだろう。
この映画をちゃんと映画として観ることができ、冷静に観たこの映画は異様に短く感じられた。

しかし、またつらくなったときに、このような疑似日常を求めるのかも知れない。